アナタは下記の名言? を見聞きしたことはないだろうか。
『アナタが死にたいと望んだ今日は、誰かが生きたいと願った昨日だ』
この名言? を目にした日からずっともやもやしていたのですが、どうにも我慢出来なくなったので言いたいことを言わせて欲しい。
死にたいと思うのはその人の自由だし、生きたかった誰かを引き合いに出されても「知らんがな」としか思えない。
死にたいと思うってことは相応の出来事があったんじゃないですか? それなのに、「誰かが生きたかった明日なんだよ」と否定されても「いや、知らんがな」って感じですよ。
無論、自死を肯定するわけじゃないですし、どうにか解決策を見出して生きて欲しいとは思います。
ですが、死にたいという気持ちを否定はしません。
ネガティブな感情を吐き出したい日もあるじゃないですか。
我慢して苦しくなるくらいなら、いっそ吐き出して楽になった方が良いでしょう。
しかし、件の名言はそれさえも否定してきます。
いや、否定というよりも的外れなアドバイスのようにも感じますね。
例えるのであれば、ラーメン屋でしょうゆラーメンを注文したのに、出てきたのがうどんだった。「注文したのはしょうゆラーメンだ」と店主に伝えると「本当はうどん屋になりたかった。折角作ったので食べてくれ」と返答され、空いた口が塞がらなくなった気分……まさに「知らんがな」案件でしょう?
まぁ、「死にたい」と言っている方に対して手を差し伸べたくなる気持ちはわからなくはないです。
ですが、件の名言は逆に相手の首を絞める可能性があるため、「良いこと(感動的な台詞)を言ってやろう」と無闇に使わない方が賢明でしょう。
アナタはどう思いますか? この名言に対するお考えをコメント欄にご記入くださいませ。
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以上