田中ゲシュタルトの崩壊

蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる人生。

『ら抜き言葉』問題

 

 皆さんは『ら抜き言葉』って聞いたことありませんか? 言葉の意味はそのまま。『ら』を抜いた単語を用いた言葉のこと、です。

 

 代表的なら抜き言葉は、

 

「食べ(ら)れる」

「見(ら)れる」

「着(ら)れる」

「決め(ら)れる」

 

 などがあります。

 

 普段、何気なくどれも使っているけれど、実はら抜き言葉だったんですね。

 

 とはいえ、ら抜き言葉が全て正しくないと言えばそうではない。意味が通じるならばら抜き言葉でも良いじゃないか。そう思いますよね? 田中も思います。

 

 ですが、それは『気心の知れた相手との日常会話』でのみ許されるものであり、公的な文章でら抜き言葉を使うと「こいつ常識ないのか?」と思われたりする可能性もあるので、提出書類を作成する際にはら抜き言葉を使っていないか用チェックすることをおすすめします。

 

 X(旧Twitter)に投稿する文章ならそこまで気を配る必要もないですけど、第三者に「あ、この人、ら抜き言葉使ってる」と思われたくなければ改めた方が良いでしょうね。

 

 では、何故『ら抜き言葉』は生まれたのでしょう?

 

ら抜き言葉』が初めて記録されたのは昭和時代であったとされ、東京生まれの上流新生層から広がったようだ。

 

 一橋日本語教育研究会の井上氏が2005年に発表した記事で、「国語学者中村通夫が体験として、その頃東京山の手の旧制高等学校の学生たちが『来れない』『見れない』と言っていたのを記した」と述べている。

 

 →一橋日本語教育研究会のレポートはこちら←

 

 興味があるなら上記のリンクから読んでみてね。

 

 ら抜き言葉は日本語の乱れになるのかと問われると、田中は少々疑問に思いますが、日本語の乱れになると言う側の言い分にも一理あると頷ける。

 

 発声する分ではら抜き言葉は許容範囲だと思うんです。だって、一々ら抜き言葉を気にしていたら会話のリズムが狂うじゃないですか。なので、日常会話におけるら抜き言葉は有りだと考えます。

 

 公的な文章におけるら抜き言葉は無しですね。大勢が注目する舞台でのら抜き言葉なんて以ての外。国会議事が国会議事堂での討論で、恥ずかしげもなくら抜き言葉を使ったらがっかりしませんか?

 

 要は、公的な場面と私的な場面で分ければ良いんです。プライベートな会話では意識せず、大切な遣り取りをする場面では気をつける。それが大人のマナーってやつかもしれないですね。

 

以上